来る球を打ち返し続けた先に、なにがあるのか。

いろいろな目に遭いましたが去年車に跳ねられました!

入院生活1日目 交通事故③

こんばんは。午前2時、アから始まりドで終わるそこそこデカい車に跳ねられた(Twitterでは)山百合から、名前を変えましたりつこです!

昨日、ヴェラキッカと美弥るりかさんに対するクソでか感情をぶつけた記事を読んでくださった方、誠にありがとうございます!

Twitterの方にイイね!つけてくださった方、励みになります!

まだ心の中では「山百合・ヴェラキッカ」になりたい気持ちでいっぱいで、他の「野良・ヴェラキッカ」を求めてブログやTwitterを彷徨って漁っています。

しかし、今日は事故のことの続きを書かせていただこうと思っております。

事故で頭を打ったせいか、はたまた加齢の為せる技か、年々怪しくなっていく己の記憶力、なんでも書き残しておかないと(書き残しても)どんどん忘れていってしまいます。

今後、同じようなケースに遭った方が「交通事故 足首骨折 全治」とか「交通事故 青信号 過失」「交通事故 ブログ」とか検索し、少しでも

「この人、こんな目にあってるけど元気になったんだ」

とか

「リハビリ頑張ろう」

とか思ってくださったら良いな・・・と思い。

(だってもう痛いしスマホしかやれることもやることもないから検索ばっかりしていたけど「交通事故で慰謝料に不満がある方、今すぐ弁護士へ相談!」みたいなのばっかりで本当に本当に不安だったので・・・意外と車に跳ねられた人のブログとか出てこな買ったんです)

では、入院編です。

 

①入院1日目

1日目っていうか、まあ事故当日ですよ。

「救急隊の人に『お姉さん早いですねw』って笑われちゃったわよ〜」

と言いながら来てくれた姉、ゆり子。

彼女は美人である。取り急ぎ、駆けつけてくれたにも関わらず、おお、姉はやはり美しい。

そして大抵、わたしの妹と間違えられる。

この髪の毛も黒々とした苦労知らずな奥様に見える姉は、リゾート地で悠々自適で夫婦2人で住んでいたら揃って認知症になっていた夫の両親を、役所から呼び出されたその日のうちに引き取って連れて帰ってきたなかなかの人。

今日はディサービスに行っているから取るものとりあえず、駆け付けられたのである。

そう、日本の社会は、姉のような「家族の中で自由に動けるひと」がいないと、介護も育児も家庭運営も回らない仕組み・・・

などとストレッチャー上でつらつら考えながらも「ゆり子ちゃん、やっぱり綺麗だな、品がある」などと美人を眺めていた。

いや、姉に入院の支度や子どもの世話など頼まないといけない。会社や相手側の窓口も、姉にお願いしないとならない。そしておそらく現場に置きっぱなしになっている電動自転車・・・

「ちょうどパパもいたから、すぐ出てこられたのよ〜。外で待っててくれてるよ」

おお、義兄まで来てくれたのか。

地面に寝転がりながらも、なんとか会社に連絡していた時、わたしはどうも姉のLINEの通話ボタンを押していたらしく、姉が出たのだ。なんたる偶然。神はいた。

そして頭から血が出てめまいでグルグル回ってるけど根性で

「ごめん、事故に遭った、車に跳ねられて頭から血が出て、足が動かない」

と伝えた。その後、救急隊か警察の方が家族への連絡先を聞いてくれたので、スマホに登録してありパスワード入れなくても姉と弟に連絡できる方法で電話してもらった。

support.apple.com

登録方法はこちら↓

mag.app-liv.jp

念のために登録しておいて良かった・・・‼︎

姉が動揺しないで車を運転できたと思ったが、義兄がいてくれて良かった・・・

この義兄、運転がうまく大変良い人なので、それはまたいずれ紹介したい。

頭のタンコブをぎゅうぎゅう押されて血が飛び散り研修医も撃沈した処置も終わったことを姉に告げ、自転車の回収と入院の用意をお願いした。

入院準備は任せておけ、とばかりに姉が微笑む。

母・父・義父・妹(わたし)、そして自分。

数々の入院準備と、退院における撤収を担ってきたプロ(?)。それが姉だ。

数年前、まるで自分のうちみたいになっていた母の個室を、母が亡くなった直後から、泣き崩れるわたしや家族をよそに、猛烈に荷物をまとめ始めあっという間に撤収した時からわたしはそう呼んでいる。「入退院のエキスパート」と。

なぜ姉がその技を身につけたかというと、結婚前の仕事に関係しているのだが、それはまた機会があったらお話しよう。

「まあ死ななくてよかったよ」

と率直な言葉を残して、姉はミッションを遂行しに去った。というのも、病棟には感染予防のために家族は入れないのだ。

そしてわたしはストレッチャーに乗せられたまま、処置室から移動した。

本日何度目かの、よくドラマでやる「1、2、3!」のアレをしていただいて、落ち着いたベッドは、まさに

救急救命病棟24時で見たやつ・・・」

一応、カーテンの仕切りはあるものの、ズラッとベッドが並んだ広い部屋。

明らかにわたしより重症っぽいみた感じ高齢者の方がほとんどの部屋。

その一番手前に、わたしは設置された。

事故があったのは正午前。今は何時なのか、分からない。

わたしはとりあえず、寝た。痛いから。

薬は効いていたけど、痛いし、寝るしかない。

時折、看護師さんに声をかけられてバイタル計測されたり、問診されたりしたけど、とにかく寝ていた気がする。

周囲はうめく声や医療機器の電子音、アラーム、そして2台くらい向こうのおじいちゃんらしき人が大きな鼾をかいて寝てらっしゃる。隣のおばあちゃんはピクリとも動かず、不安になる。

そうです、ここは救命救急科。

命に別状がある人がいるところです。

まあ、その中でわたしといえば、多分一番別状ないし、若いな・・・

さっき、現場で警察官か消防の方が「被害者は30代女性」って言ってたしな・・・

もうすぐ50だよ!でも

フッ・・・若く見えちゃった?オレ・・・?

と謎のドヤァ・・・という気持ちが込み上げる。

(その後、「生年月日言えますか?」と聞かれてアラフィフだと分かったのがなんとなく気まずかったですが)

いろいろな音が聞こえたりしてきてましたが、もう寝るしかないのでとにかくコンコンと寝ていました。スヤァ・・・

さっきのおじいちゃんの

「ねえ、誰か、これ取って〜鼻かみたいからこれとって〜」

「○○さん、これ鼻からゴニョゴニョ入れてるから取れないのよ〜」

と応える看護師さんとの優しいやり取りがエンドレスで聞こえるが、スヤァ・・・

と、夜勤の方以外はいなくなった夜中の1時ごろ。

「みやのさん、みやのさん」

と優しく起こされる。

「みやのさん、これからここに新しく急患の方が入ってくるんですが、場所がなくて。

この中で一番軽傷でお若いのがみやのさんなんです。

ここ、うるさいから(今も続く「誰か〜これとって〜」)

こんな夜中に申し訳ないけど、上の病棟に移ってもらっていいですか?」

ここで眠れる自信は(まあまあ)あったけど、わたしは協力的な患者なので、二つ返事で承諾し、ベッドごとふたりのナースさんに運んでもらった。いや、こんな夜中に申し訳ねえ・・・

寝静まった病棟の、ナースセンターに一番近い部屋の手前のポジションに収まったマイ・ベッド。

「軽傷とはいえ、事故に遭ったばかりなので、ナースセンターの近くにしますね」

とのこと。ありがてえ。

「トイレ行きたかったら教えてくださいね」

とナースコールを手近に置いてくださった。

気がついたら喉はカラカラだった。そういえば、わたしは事故に遭う直前に行ったきり、トイレに行ってなかった。

姉が差し入れてくれたペットボトルの水をなんとか蓋を開けて飲む。

トイレには、車椅子に乗り移って連れて行ってもらう。

むむ・・・これは申し訳ないな。心苦しい・・・。

でも点滴などいろいろとつけているので、勝手に動くことはできないし、何より左足首がすごい勢いで腫れてる。もちろん歩くことは不可能。

医師が「処置終わったし、脳に異常もないけど、念のために一泊してもらって、明日帰ります?」って言ってきたんですが、次の日退院がナシになったのは、めまいのせいでした。

これが一番つらい。

少し頭を動かすと、世界がメリーゴーランド!よく言えば。

吐きそうなくらい、めちゃくちゃ回ってる。

まわ〜る〜まわ〜るカルーセル〜♪

小学生の頃、キャスター付きの回転する事務椅子がうちにあって、それに乗ってぐるぐる回って気持ち悪くなったことと、頭痛持ちの姉に頼まれて代わりに乗ったディズニーランドのコーヒーカップをめちゃくちゃに姪に回された後、ビッグサンダーマウンテンに乗ってトイレで吐いた。(それでも楽しかったです、姪と行くディズニー)

父と叔父と釣船借り切って海釣りに行ったら、姉とめっちゃ船酔いして船上で吐きまくって、一回陸にあげてもらって、車の中でふたりで爆睡して回復した。

悪阻で気持ち悪くて、カレー作って、夫が食べてる間、トイレで吐いてた。

あらゆる「気持ち悪くて最悪だった人生の記憶」が蘇りましたよ・・・。

後頭部に裂傷ができて縫ってるわけなので、頭が枕に当たると痛いわけですよ。

そしてまあ左に向けば傷は当たらないから、横向くんですけど、寝返り打って少し頭の向きを変えただけでもうぐ〜るぐる!魔法陣グルグルって漫画あったな・・・と少しでも気持ち悪さから気を紛らわしているわたし。

この時は、一番つらいのは「めまい」でしたね。

地面に寝ていた時から、とにかくめまいが酷くて、これ、少し頭が動いただけでもこんなに目が回って起きていられないんだから、何もできないな、いったい治るんだろうか・・・と暗澹たる気持ちになったことを憶えています。

頭は割れてて痛いわ、目は回るわ、足も痛くて歩けない。

まあでもとにかく痛いから寝よう、うん。

(不安でも、思い煩っても仕方ない。そう思えるようになったのは、中年になってからでした。)

そしてなんとか楽なポジションを探して、人生で初めて車に跳ねられた日は終わったのでした。

ヴェラキッカと宝塚 ヴェラキッカ②

すみません、しつこいですがミュージカル「ヴェラキッカ」の話してもいいですか。

美弥るりかさんの宝塚在団中からのファンなんで観た今回のヴェラキッカ。

東京は楽を迎えましたが、大阪がこれからなので、内容に触れないように書きたいと思っていることがあります。

今回、ふせったーなどで仰っている方がいました。

ノラ←ヴェラキッカの家族=推し←ファン

・・・ざっくり式にしちゃったのは、子どもの数学を見てやっている影響が出ています。

うまく言葉に出来ないんですが・・・なんとかまとめてみたいと思います。

最近、宝塚を観ていて感じたことがありまして。

宝塚で、過去にはあったことではあるが、ちょっとここに来て重なっている事がありまして。

それは二番手退団。

わたしがヘビィに観ていた今は亡き大浦みずきさんトップ時代、朝香じゅんさんという二番手スターが退団なさいました。

「二番手」というポジションが文字通り「一番手=トップスター」の次、まさに次はトップスターという地位。ここまで来るとご存知のトップスターの次に大きい羽根を背負い大階段を降りてくる姿を見ることができます。

スターを目指して、全国から20倍以上の難関を突破して自己研鑽に励んできた生徒さんが、まさにあと少しでトップスターになれる手前。

そこで退団する、ということは稀です。

なかには歌舞伎俳優と寿退団した寿ひづるさんもいらっしゃいますが、あまりないことと思っていただいて良いのではないでしょうか。

しかし近年、二番手退団が複数回あったのです。

昨年、花組の瀬戸かずやさんと星組の愛月ひかるさん。

その前には、ヴェラキッカに主演された美弥るりかさんも。

いずれも現トップスターさんが下級生であるという「上級生二番手」つとめられてきました。

現トップさんが退団した後にトップに就任するという可能性は少なく。

(上級生二番手がトップに就任した例として、天海祐希さんの後に、上級生の久世星佳さんが就任したことがあります)

わたし如きがくどくど言う資格はないと思いますので、この人事には多くの宝塚ファンが心かき乱されたとだけ。

美弥さん、愛月さんが退団されると知った時、わたしは「この方が大階段を大羽根を背負って降りてこられるには、どういう道があったのだろう」と何度も頭の中でシュミレーションしてしまいました。

「組み替えルート」「代表作ルート」「専科ルート」・・・考えても仕方ないのですが、何度も何度も考えてしまいました。

サヨナラショーで真ん中にいる彼女を見て「この人が真ん中になれない世界とは?」などと思ってしまっていました。

宝塚の伝統として、初舞台生は一列に並んで口上を述べ、一列に並んでラインダンスを披露します。

それを「ここから一斉にスタート」という意味なんだ、と宝塚ファンの母は言っていました。

同じ2年間を過ごし芸を磨いてきた同期生が、一列に並んでヨーイドン!であこがれのトップスター目指して走り出す。

わたしは当然のように「生徒さんは皆トップスターを目指す」のが当たり前じゃないかと思っていました。それは以前、OGさんが「まあだいたいみんなそこを目指して頑張るんじゃないかな」と仰っていたのもあり。

でも中にはタンバリン芸人・天真みちるさんの様な方もいらっしゃって。

「最初は2枚目目指していたけど、どうも自分は違うな・・・と思って別の道を追求し始めた」という方もおられて。

わたしは美弥さんや愛月さんや瀬戸さんのインタビューを拝見したりしていく中で、わたしが「二番手の方がトップになってほしい」と思うのは勝手な想いなんじゃ?と思い始めました。

観劇歴は長くとも、中抜けして戻ってきたファンのわたしが、生徒さんの心の中など、知るよしもないんです、当たり前体操。

昨年は宙組トップ娘役・星風まどかさんが専科に行き、そこから花組娘役トップに就任するという、これまた前例はあっても久々〜という人事が発表されました。

相手役が在団しているのに既存のトップコンビを解体して、別の組のトップと組ませる・・・

わたし的に「タカラヅカスペシャル(全組スターが大集合する年に一度のフェスティバル)で会っちゃう時、どんな顔すればいいの?!」などとはわわとなっていた(タカスペはコロナ禍のため近年中止されてます⭐️取り越し苦労!)のですが、これもファンの情緒を乱す人事でした。

わたしにまどちの心も、真風氏の心もわからない・・・当たり前体操(二度目)

でもヅカファンの心は乱れてしまう・・・仕事が手につかないほど、心を宝塚で占められてしまう・・・

はっ!これは劇団の、計算通り・・・?!

ガラスの仮面ならここで「怖ろしい子・・・」と白目のあゆみさんが。)

さすが100年以上続く劇団。ファンの心を揺さぶり、鷲掴んで離しませんね!

 

そして、ふっと思ったんです。

わたし、生徒さんを消費してない・・・?

どんな状況にあっても、芸の道を邁進し、人事にしたがい、それでも尚、輝きを増し、素晴らしくまばゆい光を見せてくれる、生徒さんたちを。

劇団が発する人事にも負けることなく己を研鑽し続ける美しい女性たちを。

劇団が演出する「生徒のストーリー」。

それに惹きつけられ、人事の発表のたび、集合日のたび、一喜一憂しているわたし。

でも、そのストーリーは芝居やドラマではなく、「生きているひとりの女性の人生」なんだ、と気付いた時に、ゾッとしたのです。

そもそも宝塚音楽学校の入学試験。

15歳から18歳までの女性しか受験できない入学試験。最大で4回しか受けられない。

若干中学三年生から高校三年生の女の子たちが、夢に向かって努力する。

それも「容姿端麗の方」と明記されている学校に。

自分では変えることができない骨格や顔、それを評価されてしまうという10代には過酷すぎる試験。しかも近年は面接のみの一次試験を突破しなくては、鍛錬してきた得意の歌やバレエも披露することができない。

それでも、宝塚の舞台に立ちたい、という夢を持った女の子たちが憧れを目指す。

それがルッキズムと言われても。大切なのは中身だとしても。

そして合格した彼女たちは、劇団に入団して念願の初舞台を踏む。

その中でも成績がつき、その順で活躍の場が与えられる。だがその成績が関係ない「抜擢」もあったりする。

そしてそれぞれ退団を決めて去っていく。10代から劇団に守られて、公演が終われば次の公園のお稽古という生活が終わり、社会に出る。一から社会に順応して行かなくてはならない。

若さの輝きを存分に見せてくれた後、ファンは退団を惜しみ、涙するが、次のスターに目移りする。退団して元タカラジェンヌとなった彼女たちは、これから新たな道に進み、人生は続いていくだ。

ファンはその輝きで楽しませてもらい、また次の生徒たちの若さと輝きを摂取し続ける。

 

劇団の中で、5組10人しか成れない娘役・男役トップスター。

成績が1番だからって、成れるか分からない。新人公演の主役をしたからって成れるかわからない。二番手になったからといって成れるかわからない。劇団から就任を告げられるまで、分からない。

・・・すごい世界だ。

そしてトップを決める、という劇団の実態は、男性なのだ。

女性だけで成る劇団の、理事長や上層部の顔ぶれを見るとき、わたしはいつも、本当に、なんとも言えない気持ちになる。

 

少し話はそれたのですが、わたしは「生身の容姿も心も美しい稀有な存在である彼女たちの宝塚人生を、エンタメ化して見ている」ことに気付いてしまった。

「他の芸能人でもそうじゃないか」とも言えるかもしれないが、大きく違うのは、宝塚の生徒さんは一部を除いて退団する。

10代で叶えた夢から覚めて、次に行かなくてはならないのだ。

ずっといることが出来ない。いくら愛していて、そこに居たくても、退団という形で「宝塚の生徒」であることを終えないといけないのだ。

芸能人に退団はない。あるとしたら引退である。でも、大抵の場合は終生役者なり歌手なりタレントとして生き続けていける。

ファンはずっと同じ彼を彼女を応援し続けることができる。

宝塚の生徒さんは、一旦退団で「宝塚の生徒であること」を辞める。そして男役・娘役という枠から外れるのだ。そして芸能界なり、一般の社会なりに出て行かなくてはならない。

なんてドラマチックなんだろう。

またまた話が逸れてしまった。

「宝塚の生徒を消費する」ことについてはこれ以上、深掘りするのはわたしの中でまだ覚悟ができていないので、出来ません、申し訳ないです。

 

さて、ノラとヴェラキッカの家族たち。

美しく、気品に溢れ、優美で、愛情深く、威厳に満ちた唯一無二のヴェラキッカの当主。

神が念入りに作ったとしか思えない麗しい姿と、美しい心を持つノラを、誰もが愛さずにはいられない。

Twitterでは、ノラを愛するあまり、ヴェラキッカ家の養子になりたすぎてハンドルネームに「ヴェラキッカ」を加える者が続出し、そのような者は自称ヴェラキッカ一族、つまり「野良ヴェラキッカ」と呼ぶというツイートも見られた。笑った。)

この「完璧なノラ・ヴェラキッカ」は、同じ人間とは思えない。(まあ吸血種だけど)

わたしはタカラジェンヌのことみたいだなと思うのです。

もっと言えばファンの手前味噌になりますが、美弥るりかさんのことではないかと。

美弥さんは元々、幼い頃は子役として活躍していて、バレエ留学もされていて、宝塚に当然一発合格され、「唯一無二の男役」と言われた方です。美女揃いの宝塚でもその麗しさは群を抜いていました。そして卓越したファッション・センスと自己プロデュース力。教えを乞う下級生たち。また美弥さんの的確なアドバイスは心に響いたと涙する月組生多数。そして見た目とはうらはらな「寝起きなの?」と言われたゆるい喋り。でもキメるところはキメる。謙虚。優しい。ねえ、同じ人間なの?(文字数)

わたしの推察ですが、恵まれた容姿と努力する才能を持っている美弥さんは「私を求めてくれる人がいるから頑張れた」と折々に言葉にされていて、「求めている役割に応える」という性格でらっしゃるのかな・・・と感じていました。

星組から月組に組み替えし、そこで中堅スタートして求められた役、そして二番手スターとして若きトップを支える役を全うしてこられた。求められたもの以上のものを与えてこれらた。

(るりたま、たまらないと思っていたクチです。)

最後の主演作品「アンナ・カレーニナ」では卒業が見えていたからか、主演が自分だったからか、リミッター外しにかかっていて色気がとんでもないことになってる様に感じました。

退団後のインタビューで「自分がしたいことがよくわからなくなっていた。これからは自分の心の喜ぶことがしたい」(ニュアンスで、すみません)と仰っていて、それからの〜1stライブ、ミヤコレ、グレブリ等があり、「ヴェラキッカ」に至った。

「宝塚」の枠が卒業によって外れた美弥るりかが、自らの魅力の全て、培ってきた芸の全てを魅せることができた、見せなくては成立しない、それが「ノラ・ヴェラキッカ」だった。

初日後、「ヴェラキッカ」は美弥るりか退団公演だった、真っ赤な羽根背負って階段降りてきた、いやトップお披露目公演だった、という感想が散見されました。

(「ええ、どういうこと?」と思いつつ拝見した結果「その通りだったわ」と池袋の街をフラフラと歩くわたし)

(美弥さんの退団公演の感想を率直に申し上げますと、正直、お芝居はもっと出番が欲しかったし、タイのショーも宜しかったですが、るりたま堪能させていただきましたが、欲を言えばカルーセルみたいな美弥さん中心の場面が欲しかったですし、演出家の先生にはそれは美弥さんの退団公演以外でやっていただきたかったという気持ちでいっぱいです!

それを末満さんはやってくれた・・・本当に感謝しております・・・。)

男役の持ち味を生かしたラブシーンやリフト、カッコ良くて、たおやかで、小悪魔で、天使な美弥さん。性別をも超えた「ノラ」という愛さずにはいられない存在。

ノラには、美弥るりかが宝塚で演じた役全てのエッセンスが注入されていたかのようで、ファンとしてはお芝居も相まって涙が止まらない緊急事態になってました。(わたし談)

フィナーレ、フェニックスでしたよ・・・‼︎

感情が昂ってしまいましたが、ここでわたしが1幕で感じていたことを振り返ってみますと

「みんな好き勝手言ってるなあ(笑)」

ノラはこんなに素晴らしい、ノラのためなら自分はどんな事も出来る、ノラに会いたい、ノラに自分を見て欲しい、ノラを追いかけたい、ノラをずっと見ていたい、ノラに微笑んで欲しい、触れて欲しい、でもノラの邪魔にはなりたくない、ノラを愛するのはいい、でも抜け駆けは許さない・・・

でもこれって推しに対するファンの感情じゃね?

そう気付いた時に「わーーーー‼︎‼︎‼︎」ってなりました。

ハチミツとクローバーの、はぐちゃんにキスしたことに気付いた森田さんみたいに。伝われ!

「好き勝手言ってらあ」なんて江戸っ子めいて見ていたわたし、恥ずかしい・・・!

1幕のみんなのアレは、全部自分の姿よ・・・!

 

・・・それからじゃあどうしたの?

というと、結局ファンはファン。自分の見たい推しの姿しか、見ないのだ・・・。

 

わたしはいまだに直視できません。自分の中のこの感情。

そしてヴェラキッカのラストの意味も。

誰もノラのことは分からない。ノラの心の中も分からない。本当のノラを分からない。

ノラが愛していたのは誰かなんて、分からない。

だってノラは。

 

ヴェラキッカを観ている時に、学生時代、受験のために英単語を懸命に憶えていた時にとても驚いたことを、思い出しました。

「idol」という単語。

https://ejje.weblio.jp/content/idol

いわゆる「アイドル」。

「偶像」という一番最初に出てきた意味に。

そうか、アイドルって偶像なんだ。すごく、腑に落ちた。

 

ノラはヴェラキッカ家のアイドル。まさにidolだったんですね・・・。

なんか、それをまざまざと見せつけられて、なんだか居心地が悪かったです。

誰も、ロビンさえも、本当のノラのことを知ろうともしなかった。

わたしは物哀しかった。

いいの?これでいいの?これがトランプなのかな?分からない・・・。

宝塚にも「これってハピエンみたいに見せてるけど違うのでは?」と思われる「宝塚コーティング」されたものってあるし。

宝塚だったら悲劇の後でも「天国でふたりは幸せになったよ!」デュエダンとイケ散らかした群舞フィナーレで観客の心を宝塚に染め上げてくれるでしょ。

これがトランプなのですね!

これも含めてトランプなのですね!

という解釈をね、ヤケクソですよ、いわば。

推しがいるファンとして、宝塚ファンとして、なんだか気付きたくない、見たくない箱をすこおし、開けられたような、そんな気持ちになって、わたしはいまだにソワソワ・ぞみぞみしている毎日を過ごしているのです。

全然まとまってなくて、誠に申し訳ありません‼︎

この感情を書き表すことができなくて、そのまま放流します!

ヴェラキッカを観てきました!ヴェラキッカ①

車に跳ねられた私ですが、趣味は宝塚観劇です。

このコロナ禍のために観に行けなかったことに加えて、事故に遭ってしまったため、観に行くことができず、家族に行ってもらったり、キャンセルしたチケットが数枚ありました。

悲しみ。

しかも、わたしの贔屓が退団したのですが、その際に行われるフェアウェルパーティーが自粛のため11月に延期になっていて、それにも参加できず。

これには本当に凹みました。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、宝塚の生徒(歌劇団生)は一部を除いて退団します。今まで宝塚歌劇団の公演にコンスタントに出演していてその姿を拝見することができた生徒さんは、退団したらそうそう会えるとは限りません。

舞台人としてお仕事されるとは限らず、大学に入学して学生になる方、経験を生かして講師になる方、結婚して家庭に入る方の様に、舞台人を引退する方もいます。

応援してきた生徒さんに今度はいつ会えるか分からない、そしてその活躍を最後に見送る場がフェアウェルなのです。

それにも出席できなかった・・・

そしてGet Wild退勤をキメるくらい好きな「シティ・ハンター」が宝塚で上演されるというのに、それも観られなかった・・・。

踊る姿はまるでアスリート、そのデュエットダンスは2倍速なのかな?と思うくらいのトップコンビ、星組の礼真琴・舞空瞳の公演もキャンセル・・・。

だって、歩けないんだもん!

この「ヴェラキッカ」も運良くチケットが取れていましたが、果たして歩けるようになっているのだろうか・・・?と思いつつ、リハビリの成果もあり、池袋に馳せ参じることが出来ました!

 

ミュージカル「ヴェラキッカ」

 

ミュージカル「ヴェラキッカ」の主演は、元宝塚スターの美弥るりかさん。

「TRUMPシリーズ」の新作です。

気にはなっていましたが、わたしは初見。元宝塚月組二番手スターの美弥さんに惹かれて、事故後初めて電車に乗ってブリリアホールまで行ってきました!

このミュージカルはシリーズ化されているので、他の作品は観ていないわたしでも大丈夫かな?と心配でしたが、どうもファンの皆さんが「いくつか用語をおさえておけば、これだけ観ても大丈夫」というアドバイスTwitterで散見したので、トランプ初見で行ってみました!

この映像のセンターの麗人が、美弥るりかさんです。

見ていただけば分かりますように、めっちゃ美しい。

この美しい美弥さんの演じるノラ・ヴェラキッカを愛することが唯一の家訓であるヴェラキッカ家に養子に来たのが平野綾さん演じるキャンディ。

数多いる養子や使用人がノラの愛を独占したいと願う、閉じられた世界で繰り広げられる極上の歌とダンス。

美弥ファンであるわたしは、ノラが登場してからオペラでずっと追っていました。

ノラは髪の長さ、色、服、声の調子、性別さえも場面ごとに変わって登場します。

美弥さんが様々な衣装やカツラで現れるので、その度に宝塚で演じられたお役を彷彿とさせられました。

名門貴族の当主然としたノラ、若き青年貴族のようなノラ、慈母のようなノラ、小悪魔のようなノラ、そして天使のようなノラ・・・。女性なのか、男性なのかもくるくると変わるノラの姿に、どれが本当のノラなのか、観ているこちらも、ヴェラキッカ家のメンバーさえも掴みどころがない。

でも、2幕になってからそれが腹に落ちる・・・そうだったのか、と。

美弥さんはお歌もダンスも申し分なく、女性をリフトしたり、キスしたり、立ち回りを演じたりと、宝塚の男役として培ったものを惜しみなく披露してくれるこの演出!

まるで「こんな美弥るりかが観たい」からの設定では?と勘繰るくらい、美弥るりかの美しさ、気高さ、儚さ全部乗せ、美弥るりかのファンの夢全部叶えたろかスペシャルでした。

末満さん、本当にありがとうございました・・・‼︎

メインキャストの歌と踊りも申し分なく。「ジョー役の人すっごいな、ボブヘアええな。だれだろ?」と思ったら元宝塚の愛加あゆさんだったし、平野綾さんは(ラムちゃんか?ってそれは平野文さんや!)可愛くてお歌も歌詞がはっきり聴こえて凄かったです、憶えた。

「小娘ソング」が頭から離れません!

ヅカファンなので男性がいる舞台は慣れていないんですが男性演者さんは、やはりパワフルですね‼︎

また音楽やお衣装が素敵で。

全体的にダークな色調の貴族らしい品のあるお衣装。キャンディのドレスはゴスロリ調ですごく可愛くて。他のシリーズで共通して使われている音楽があるようで、その音楽が流れる場面は特別な意味があるそうです。初見のわたしには分からず残念。

日本のミュージカル全体がハイ・レベルになっていて、トランプシリーズの様に続いているミュージカルがあって、それを継続して見続けているお客様が育っている・・・ということは、なんだかとっても嬉しく感じました。

今回、事故からこっち、とてもメンタルが弱弱になっていて、心折れそうな日々の中、治りかけた足でよちよちと池袋の街を歩いて行きました。

でも、行ってよかった。

美しい人たち、強い歌声とダンス、プロフェッショナルなひとから発せられるパワーを浴びて、少し元気になりました。

この前に観たのが宝塚星組ロミオとジュリエット」で、それからのトランプって風邪引きそうですね。「ヴェラキッカ」はラブラブ・ハッピーエンド❤️ミュージカルっていう作品ではないですが、吸血種たちの強い愛のかたちを見せつけられて、久々に心が震えました。

 

verachicca.westage.jp

 

東京公演は本日で千秋楽ですが、これから大阪公演と、配信がまだあります!

美弥さんのルックスに引っ掛かった方、吸血種と聞いて「ん?」と思った方、ぜひご覧になってみてください!

 

 

 

いつも新しい下着をつけておく というおしえが役立った日。交通事故②

わたしの母は、数年前に病を得て亡くなりました。

母は亡くなっても、母が生前言っていたことが時折心に蘇ることが多々あります。

「ひとは亡くなっても心の中に生き続ける」

というのはこういうことだったのか、と感じます。

母が度々言っていたことのひとつに

「ひとから見えなくても、下着は常に綺麗なものを身につけておきなさい」

ということがありました。

事故や病気で救急搬送されたら、服を脱ぐような事態になるかもしれない、その時、古く汚れたような下着だったら恥ずかしいし失礼だから、という理由でした。

事故の1週間ほど前、わたしは姉と一緒に買い物に行っていました。

その際、子どもの下着や靴下を選んでいたのですが、わたしも思い立って自分も新しい下着を買いました。その時「事故に遭ったら困るでしょ」と言っていたのです。

事故に備えて下着を買う意図など全くなかったのですが、奇しくもそれが役に立つことになろうとは。不思議なこともあるものです。

 

さて、閑話休題

事故について、記憶と資料を頼りに、書き起こしてみようと思います。

○いつどこで事故に遭ったか

今から3ヶ月ほど前の秋、見通しの良い片側2車線の広い交差点。

○事故の状況

自転車で、青信号になって横断歩道を渡ってもうすぐ渡り切るという時に、対向車線から左折し交差点に進入してきた車に衝突されました。

警察での話によると、車のボンネットに乗り上げ跳ね飛ばされたとのこと。

わたしが跳ねられて道路に転がっていた際に目撃した方が話しているのが聞こえたのが「2,3メートルとばされた」みたいです。

○事故直後の状態

気がつくと、道路に仰向けで横たわっていました。

後頭部と左足首が受賞しているのが、感覚で分かりました。

体全体が痛いですが、特にこの部分が「絶対これ怪我してる、それもひどいやつ」と感じられました。左足首から下は、動かせませんでした。

そして酷かったのがめまい。

目を開けて、横を向いた途端にぐるぐると視界が回り、吐き気がしました。到底目を開けていられず、周囲の状況を見ることができませんでした。

自転車がどこにあるのか、自分が道路のどのあたりにいるのか。

周りに人がいて、声をかけてくれているのは聞こえました。

○救助の模様

どうやら、わたしを跳ねた人らしき人物が車から降りてきてそばに来たのが分かりました。

「大丈夫ですか?」

と声をかけられましたが

「大丈夫じゃない!」

と言いました。頭を触ると、手に血がつきました。

それまで「足が痛くてもなんとか行けるかな」と思っていたのですが、頭から血が出た状態でお客様のところに行けるわけがありません。ああ、仕事に穴を開けてしまった。

「警察と救急車呼んでください。めまいが酷くて動けないので」

と言って、わたしは会社に連絡を取らないとと思い、スマホを探し、地面に横になったまま上司と姉に電話しました。

運転していた人に、急いでたんですか?と聞いたら「いや、そういう訳では・・・」とのこと。じゃあなぜ徐行せずに交差点に侵入してきたのか?わたしの周りにも歩行者は複数人いました。

道路から移動させてくれようとした方たちがいましたが、めまいがひどいのと、動かして良いか自分でも分からない状況だったので、そのままにしてもらいました。

「何かしてほしいことはありますか?」

と聞いてくれた女性の声がしました。

「頭から血が出ていると思うのですが、見えるくらい出血してますか?」

と聞いたら

「ああ、見えますね」

と答えがあり、結構出血していることが分かりました。

「足が動かないのだけど、変な方向に曲がっていたりしていますか」

と聞いたら「それは大丈夫です」と教えていただいてほっとしました。

○怪我の状況

後頭部から出血、足首から下が動かない、ひどいめまいでした。

○救急車にて

体感として、すぐに警察が来ました。その後救急車が来るのがサイレンで分かりました。

意識を確認され、頭と首を動かしても良いか判断されてガードをつけられました。

首が痛かったけど、折れたりはしていない様でした。

目は閉じたまま、開けるとぐるぐると回る景色が目に入るので見えません。

その中でも、警察らしき人が目撃情報収集をしている様子が聞こえました。

また、わたしのスマホから家族に連絡を取ると言われたので、緊急連絡先がアイフォンに登録していると言って、姉に再度連絡してもらいました。

担架に乗せてもらい、救急車に乗りました。

車内では出発する前に搬送先の確保、体の状況の確認、バイタル測定などされ、出発まで時間がありました。

名前や年齢、住所など聞かれましたが、一貫して意識はあるので、ちゃんと答えていました。

近くの病院に搬送先が決まり、出発したのは割と時間が経っていたようです。

そのため、到着した時には姉の方が早く病院に到着して出迎えてくれた形になり、笑いました。

○病院での処置

全身、痛みや異常がないか触診、画像撮影などあったのですが、目はめまいで開けられないものの、意識ははっきりしているので、医師の問いには答えられ、どうも傷は後頭部と左足首ということが判明してきたようでした。

後頭部の傷からの出血が止まらず、縫合することになったのですが、その前に血が溜まっている部分から絞り出す処置をされました。

申し訳ないですが、これが痛いのなんの!

「痛い痛い痛い、ちょっとどうにかなりませんか?!」

って言っちゃいました、普段は痛みに強い方なので大抵のことは我慢できるんですが。

そしたら麻酔を入れてくれました。ありがたい。医学の力、素晴らしい。

ぎゅうぎゅう押してるのですが、首が痛くて、ちょ、待てよ、と思いましたがとにかくぎゅうぎゅうぎゅうぎゅう。そしたら血が吹き出して飛んだらしく、

「うわっ!」

「すみません、ちょっと気分が」

「座って休んで」

などと聞こえてきて、どうやら医師の1人が気分が悪くなってしまったようで、「すみませんね、わたしの出血で・・・」と申し訳ない気持ちでいたところ、頭を数針縫われて「おいおい、出産の時も縫われたことなかったのに、人生初の縫合だよ」なんて思いつつ、処置は終わったようで「頭を縫合し、出血は止まった。脳の検査では脳内出血などの所見なし、足は骨折してはいないようなので捻挫でしょう」ということを説明されました。

そして姉を呼んでくれ、処置を待っていてくれた姉と会えたました。

 

○その時わたしの心境

わたしは仕事中で、お客様のところに向かっているところでした。

横断歩道で見ていたスマホをいつもなら自転車の前かご荷物に入れるのですが、その時は上着のポケットに入れました。

その日は朝、肌寒くて、父が着ていたウィンドブレーカーを初めて着ていました。

一口水を飲んで行こうかな、と思いましたが、到着してからにしようと思い、青信号に替わってすぐに歩道を漕ぎ出しました。

もうすぐ渡り切るという時に、突然白いワンボックスカーが見えました。

危ない!と思った時に、夢の中のようにスローモーションになりました。

「わたしは自転車なので、バックすることはできない。でもスピードを上げて前に避けるのは時間的に無理、車がブレーキかけて止まってくれないか?」

そう考えていました。左後ろに歩行者がいるのが見え、前方にも歩道を渡ろうとスタートした人が数人いるのが分かりました。

「こんなにわたし以外に人がいるのに、なんでこの車は徐行しないで突っ込んで来るんだろう」

そう考えていました。

車のブレーキに期待したのですが、全く止まる様子はなく、車はわたしにヒットしました。

ちょうど、吸い付くように衝突したのです。

自転車の側面がガツン!!と音を立てて当たり、うわっ当っちゃった!夢じゃなかった〜と思ったら、地面に倒れていました。

「わたしを待っているお客様がいる」

「ああ、仕事に穴を開けてしまった」

「子どもはどうしよう」

「これは怪我しているから元の生活はできない」

「悔しい、悔しい、なんで」

「あの車はなんで徐行もしないで突っ込んできたの?」

「ああ、みんなに迷惑かけてしまう。申し訳ない」

充分、気をつけて来たつもりだったのですが、事故に遭ってしまった。

その悔しさと申し訳なさ、不安で涙が止まりませんでした。

わたしは人生で4回入院しましたが、一番痛くてつらい入院生活になりました。

 

 

 

 

 

車に跳ねられた件。交通事故①

初めまして、こんばんは!

のゆりです。

ちょっとしたきっかけで、ブログを始めました。

この記録が誰かの役に立てばいいな・・・と思い、人生であまり経験しないであろう事態に陥ったわたしの備忘録も兼ねて、書いて行きたいと思っています!

わたしもそろそろ半世紀生きてきまして、受験・進学・就職・転職・結婚・出産・育児など

ひと通りこなしてきたのですが、特記事項として被災・病気・離婚あたり、まああまり大多数の人が経験しないまま過ごせれば良いよね的な経験を持っているですが、この度加わったのが交通事故。

まあ、正直 遭いたくなかった というのが正直な気持ちですね。

人生の中でNO.1かもしれない出来事でした。

今はリハビリ絶賛自宅療養中なんですが、交通事故に遭う ということがどんなことか、自分のためにも、そしてこれから事故に遭う人にも(縁起悪いですな)参考にしていただける記録にしたいと思っています。

事故に遭ってから3ヶ月、今はやっと歩けるようになり、階段もややぎこちないですが降りれるし、小走りもできるようになりました。

でも後頭部は当たると痛いし、骨折した部分も起きると、また冷えると痛いです。打撲した跡は謎に膨らんだまま触ると痛いし、一番はめまいが残っているというのが不安。

正直見た目は治癒してきましたが「だいたいどこか痛い」状態です。

そしてそれは完全に戻ることはない。

事故に遭う前の自分には戻れない。

それが精神的に地味に効いてくる回復期、つまり今のわたしの状態です。

受傷直後は傷が痛い、それ以外考えられず、とにかく早くこの痛みがなくなるということに意識がいっている状態です。そのつらさは「なんとか生きてる、でも死にたい」という感じ。

「事故に遭ったけど、幸にして生きてる。でもとにかく痛い、つらい、自分の身体はどうなってしまうのだろう?怖い、これからどうなるの?痛い、つらい、いっそのこと死にたい」

という気持ちでした。

事故に遭った重症の方で、事故前の状態に完全に戻ったよ〜!という人って、いないのではないかな?と思います。

重症であれば、おそらく骨折しているでしょう。骨折したところって、痛むんです。手術するケースもあるでしょう。そしたら傷が残ります。

頭を打った場合、わたしもそうなのですがめまいがするよう、鞭打ちになる方が多いのではないでしょうか。その痛みや痺れは、レントゲンやMRIの画像には写りません。

わたしの様に、疾患が残っても傍目には見えないため、分からないでしょう。

受傷後、スマホが持てるようになってから、わたしは検索しまくりました。

「足首骨折 全治」「交通事故 めまい」「交通事故 頭部挫創 全治」・・・病院のベッドでは痛みから逃げるために眠るしかない。でも目が覚めてしまう。痛いのを紛らわせるためにできることはスマホくらいしかない。

どのくらい検索したでしょうか。でもわたしの様な交通事故に遭った人のブログは意外と見当らないのです。

事故状況、入院、退院、自宅療養、リハビリ、加害者との交渉。

交通事故被害者が、これからどうしていったらいいのか。

そこが知りたい。だって初めて事故に遭ったんだもの!

交通事故に遭う、それも重症の被害者になる。

人生でそうある事ではないのでしょうか。考えたら「車に跳ねられたよ」という親戚、聞いたことないし、友達でもいませんね。

先日、新聞を読んでいて「2021年の交通事故死者数は2636人」だったそうです。

発生件数は約30万5000件。負傷者数は36万人。わたしもその内の1人ですね。

日本の人口は1億2000万人とすると、0.3%。結構レアなんですね、交通事故に遭うって事は。

しかし2636人の方が年間交通事故で亡くなられているのですね・・・。

「交通事故死者」とは「交通事故によって、発生から24時間以内に亡くなった場合」なので、交通事故が原因で亡くなった方はさらに多くの数にのぼるのでしょう。

自動ブレーキ搭載の車の開発、早よ!

わたしの場合は、自動ブレーキ搭載だったらぶつかられなかったかな・・・

でも時は戻せません。

こうなった身体と心で生きてくしかありません。腹を括ってやってくしかない。

なのでここでブログとして書き残しておこうと思います。

「今日と同じ明日が来ないかもしれない」

というのは、今から27年まえに被災した時に、わたしに刷り込まれたものです。

大抵、ひとは「自分には降りかからないだろう」と思って日々を生きているものです。

流れる悲しいニュースに心を痛めていても、それが明日の自分になってしまうとは夢にも思わず生きている。でもそれが人間です。

「明日わたしも被災するかも!事故に遭うかも!」なんて心配していたら、どこにも行けないし何もできない。だからそう思って日々を過ごすのは当たり前です。

だから「まあそう思っていたけど、車に跳ねられちゃった人もいるよ」くらいな気持ちで読んでくださったら、ありがたいと思っています。

それでは、冬のきつい寒さの最中に書き始めたこのブログに、しばらくお付き合いください。