来る球を打ち返し続けた先に、なにがあるのか。

いろいろな目に遭いましたが去年車に跳ねられました!

ヴェラキッカと宝塚 ヴェラキッカ②

すみません、しつこいですがミュージカル「ヴェラキッカ」の話してもいいですか。

美弥るりかさんの宝塚在団中からのファンなんで観た今回のヴェラキッカ。

東京は楽を迎えましたが、大阪がこれからなので、内容に触れないように書きたいと思っていることがあります。

今回、ふせったーなどで仰っている方がいました。

ノラ←ヴェラキッカの家族=推し←ファン

・・・ざっくり式にしちゃったのは、子どもの数学を見てやっている影響が出ています。

うまく言葉に出来ないんですが・・・なんとかまとめてみたいと思います。

最近、宝塚を観ていて感じたことがありまして。

宝塚で、過去にはあったことではあるが、ちょっとここに来て重なっている事がありまして。

それは二番手退団。

わたしがヘビィに観ていた今は亡き大浦みずきさんトップ時代、朝香じゅんさんという二番手スターが退団なさいました。

「二番手」というポジションが文字通り「一番手=トップスター」の次、まさに次はトップスターという地位。ここまで来るとご存知のトップスターの次に大きい羽根を背負い大階段を降りてくる姿を見ることができます。

スターを目指して、全国から20倍以上の難関を突破して自己研鑽に励んできた生徒さんが、まさにあと少しでトップスターになれる手前。

そこで退団する、ということは稀です。

なかには歌舞伎俳優と寿退団した寿ひづるさんもいらっしゃいますが、あまりないことと思っていただいて良いのではないでしょうか。

しかし近年、二番手退団が複数回あったのです。

昨年、花組の瀬戸かずやさんと星組の愛月ひかるさん。

その前には、ヴェラキッカに主演された美弥るりかさんも。

いずれも現トップスターさんが下級生であるという「上級生二番手」つとめられてきました。

現トップさんが退団した後にトップに就任するという可能性は少なく。

(上級生二番手がトップに就任した例として、天海祐希さんの後に、上級生の久世星佳さんが就任したことがあります)

わたし如きがくどくど言う資格はないと思いますので、この人事には多くの宝塚ファンが心かき乱されたとだけ。

美弥さん、愛月さんが退団されると知った時、わたしは「この方が大階段を大羽根を背負って降りてこられるには、どういう道があったのだろう」と何度も頭の中でシュミレーションしてしまいました。

「組み替えルート」「代表作ルート」「専科ルート」・・・考えても仕方ないのですが、何度も何度も考えてしまいました。

サヨナラショーで真ん中にいる彼女を見て「この人が真ん中になれない世界とは?」などと思ってしまっていました。

宝塚の伝統として、初舞台生は一列に並んで口上を述べ、一列に並んでラインダンスを披露します。

それを「ここから一斉にスタート」という意味なんだ、と宝塚ファンの母は言っていました。

同じ2年間を過ごし芸を磨いてきた同期生が、一列に並んでヨーイドン!であこがれのトップスター目指して走り出す。

わたしは当然のように「生徒さんは皆トップスターを目指す」のが当たり前じゃないかと思っていました。それは以前、OGさんが「まあだいたいみんなそこを目指して頑張るんじゃないかな」と仰っていたのもあり。

でも中にはタンバリン芸人・天真みちるさんの様な方もいらっしゃって。

「最初は2枚目目指していたけど、どうも自分は違うな・・・と思って別の道を追求し始めた」という方もおられて。

わたしは美弥さんや愛月さんや瀬戸さんのインタビューを拝見したりしていく中で、わたしが「二番手の方がトップになってほしい」と思うのは勝手な想いなんじゃ?と思い始めました。

観劇歴は長くとも、中抜けして戻ってきたファンのわたしが、生徒さんの心の中など、知るよしもないんです、当たり前体操。

昨年は宙組トップ娘役・星風まどかさんが専科に行き、そこから花組娘役トップに就任するという、これまた前例はあっても久々〜という人事が発表されました。

相手役が在団しているのに既存のトップコンビを解体して、別の組のトップと組ませる・・・

わたし的に「タカラヅカスペシャル(全組スターが大集合する年に一度のフェスティバル)で会っちゃう時、どんな顔すればいいの?!」などとはわわとなっていた(タカスペはコロナ禍のため近年中止されてます⭐️取り越し苦労!)のですが、これもファンの情緒を乱す人事でした。

わたしにまどちの心も、真風氏の心もわからない・・・当たり前体操(二度目)

でもヅカファンの心は乱れてしまう・・・仕事が手につかないほど、心を宝塚で占められてしまう・・・

はっ!これは劇団の、計算通り・・・?!

ガラスの仮面ならここで「怖ろしい子・・・」と白目のあゆみさんが。)

さすが100年以上続く劇団。ファンの心を揺さぶり、鷲掴んで離しませんね!

 

そして、ふっと思ったんです。

わたし、生徒さんを消費してない・・・?

どんな状況にあっても、芸の道を邁進し、人事にしたがい、それでも尚、輝きを増し、素晴らしくまばゆい光を見せてくれる、生徒さんたちを。

劇団が発する人事にも負けることなく己を研鑽し続ける美しい女性たちを。

劇団が演出する「生徒のストーリー」。

それに惹きつけられ、人事の発表のたび、集合日のたび、一喜一憂しているわたし。

でも、そのストーリーは芝居やドラマではなく、「生きているひとりの女性の人生」なんだ、と気付いた時に、ゾッとしたのです。

そもそも宝塚音楽学校の入学試験。

15歳から18歳までの女性しか受験できない入学試験。最大で4回しか受けられない。

若干中学三年生から高校三年生の女の子たちが、夢に向かって努力する。

それも「容姿端麗の方」と明記されている学校に。

自分では変えることができない骨格や顔、それを評価されてしまうという10代には過酷すぎる試験。しかも近年は面接のみの一次試験を突破しなくては、鍛錬してきた得意の歌やバレエも披露することができない。

それでも、宝塚の舞台に立ちたい、という夢を持った女の子たちが憧れを目指す。

それがルッキズムと言われても。大切なのは中身だとしても。

そして合格した彼女たちは、劇団に入団して念願の初舞台を踏む。

その中でも成績がつき、その順で活躍の場が与えられる。だがその成績が関係ない「抜擢」もあったりする。

そしてそれぞれ退団を決めて去っていく。10代から劇団に守られて、公演が終われば次の公園のお稽古という生活が終わり、社会に出る。一から社会に順応して行かなくてはならない。

若さの輝きを存分に見せてくれた後、ファンは退団を惜しみ、涙するが、次のスターに目移りする。退団して元タカラジェンヌとなった彼女たちは、これから新たな道に進み、人生は続いていくだ。

ファンはその輝きで楽しませてもらい、また次の生徒たちの若さと輝きを摂取し続ける。

 

劇団の中で、5組10人しか成れない娘役・男役トップスター。

成績が1番だからって、成れるか分からない。新人公演の主役をしたからって成れるかわからない。二番手になったからといって成れるかわからない。劇団から就任を告げられるまで、分からない。

・・・すごい世界だ。

そしてトップを決める、という劇団の実態は、男性なのだ。

女性だけで成る劇団の、理事長や上層部の顔ぶれを見るとき、わたしはいつも、本当に、なんとも言えない気持ちになる。

 

少し話はそれたのですが、わたしは「生身の容姿も心も美しい稀有な存在である彼女たちの宝塚人生を、エンタメ化して見ている」ことに気付いてしまった。

「他の芸能人でもそうじゃないか」とも言えるかもしれないが、大きく違うのは、宝塚の生徒さんは一部を除いて退団する。

10代で叶えた夢から覚めて、次に行かなくてはならないのだ。

ずっといることが出来ない。いくら愛していて、そこに居たくても、退団という形で「宝塚の生徒」であることを終えないといけないのだ。

芸能人に退団はない。あるとしたら引退である。でも、大抵の場合は終生役者なり歌手なりタレントとして生き続けていける。

ファンはずっと同じ彼を彼女を応援し続けることができる。

宝塚の生徒さんは、一旦退団で「宝塚の生徒であること」を辞める。そして男役・娘役という枠から外れるのだ。そして芸能界なり、一般の社会なりに出て行かなくてはならない。

なんてドラマチックなんだろう。

またまた話が逸れてしまった。

「宝塚の生徒を消費する」ことについてはこれ以上、深掘りするのはわたしの中でまだ覚悟ができていないので、出来ません、申し訳ないです。

 

さて、ノラとヴェラキッカの家族たち。

美しく、気品に溢れ、優美で、愛情深く、威厳に満ちた唯一無二のヴェラキッカの当主。

神が念入りに作ったとしか思えない麗しい姿と、美しい心を持つノラを、誰もが愛さずにはいられない。

Twitterでは、ノラを愛するあまり、ヴェラキッカ家の養子になりたすぎてハンドルネームに「ヴェラキッカ」を加える者が続出し、そのような者は自称ヴェラキッカ一族、つまり「野良ヴェラキッカ」と呼ぶというツイートも見られた。笑った。)

この「完璧なノラ・ヴェラキッカ」は、同じ人間とは思えない。(まあ吸血種だけど)

わたしはタカラジェンヌのことみたいだなと思うのです。

もっと言えばファンの手前味噌になりますが、美弥るりかさんのことではないかと。

美弥さんは元々、幼い頃は子役として活躍していて、バレエ留学もされていて、宝塚に当然一発合格され、「唯一無二の男役」と言われた方です。美女揃いの宝塚でもその麗しさは群を抜いていました。そして卓越したファッション・センスと自己プロデュース力。教えを乞う下級生たち。また美弥さんの的確なアドバイスは心に響いたと涙する月組生多数。そして見た目とはうらはらな「寝起きなの?」と言われたゆるい喋り。でもキメるところはキメる。謙虚。優しい。ねえ、同じ人間なの?(文字数)

わたしの推察ですが、恵まれた容姿と努力する才能を持っている美弥さんは「私を求めてくれる人がいるから頑張れた」と折々に言葉にされていて、「求めている役割に応える」という性格でらっしゃるのかな・・・と感じていました。

星組から月組に組み替えし、そこで中堅スタートして求められた役、そして二番手スターとして若きトップを支える役を全うしてこられた。求められたもの以上のものを与えてこれらた。

(るりたま、たまらないと思っていたクチです。)

最後の主演作品「アンナ・カレーニナ」では卒業が見えていたからか、主演が自分だったからか、リミッター外しにかかっていて色気がとんでもないことになってる様に感じました。

退団後のインタビューで「自分がしたいことがよくわからなくなっていた。これからは自分の心の喜ぶことがしたい」(ニュアンスで、すみません)と仰っていて、それからの〜1stライブ、ミヤコレ、グレブリ等があり、「ヴェラキッカ」に至った。

「宝塚」の枠が卒業によって外れた美弥るりかが、自らの魅力の全て、培ってきた芸の全てを魅せることができた、見せなくては成立しない、それが「ノラ・ヴェラキッカ」だった。

初日後、「ヴェラキッカ」は美弥るりか退団公演だった、真っ赤な羽根背負って階段降りてきた、いやトップお披露目公演だった、という感想が散見されました。

(「ええ、どういうこと?」と思いつつ拝見した結果「その通りだったわ」と池袋の街をフラフラと歩くわたし)

(美弥さんの退団公演の感想を率直に申し上げますと、正直、お芝居はもっと出番が欲しかったし、タイのショーも宜しかったですが、るりたま堪能させていただきましたが、欲を言えばカルーセルみたいな美弥さん中心の場面が欲しかったですし、演出家の先生にはそれは美弥さんの退団公演以外でやっていただきたかったという気持ちでいっぱいです!

それを末満さんはやってくれた・・・本当に感謝しております・・・。)

男役の持ち味を生かしたラブシーンやリフト、カッコ良くて、たおやかで、小悪魔で、天使な美弥さん。性別をも超えた「ノラ」という愛さずにはいられない存在。

ノラには、美弥るりかが宝塚で演じた役全てのエッセンスが注入されていたかのようで、ファンとしてはお芝居も相まって涙が止まらない緊急事態になってました。(わたし談)

フィナーレ、フェニックスでしたよ・・・‼︎

感情が昂ってしまいましたが、ここでわたしが1幕で感じていたことを振り返ってみますと

「みんな好き勝手言ってるなあ(笑)」

ノラはこんなに素晴らしい、ノラのためなら自分はどんな事も出来る、ノラに会いたい、ノラに自分を見て欲しい、ノラを追いかけたい、ノラをずっと見ていたい、ノラに微笑んで欲しい、触れて欲しい、でもノラの邪魔にはなりたくない、ノラを愛するのはいい、でも抜け駆けは許さない・・・

でもこれって推しに対するファンの感情じゃね?

そう気付いた時に「わーーーー‼︎‼︎‼︎」ってなりました。

ハチミツとクローバーの、はぐちゃんにキスしたことに気付いた森田さんみたいに。伝われ!

「好き勝手言ってらあ」なんて江戸っ子めいて見ていたわたし、恥ずかしい・・・!

1幕のみんなのアレは、全部自分の姿よ・・・!

 

・・・それからじゃあどうしたの?

というと、結局ファンはファン。自分の見たい推しの姿しか、見ないのだ・・・。

 

わたしはいまだに直視できません。自分の中のこの感情。

そしてヴェラキッカのラストの意味も。

誰もノラのことは分からない。ノラの心の中も分からない。本当のノラを分からない。

ノラが愛していたのは誰かなんて、分からない。

だってノラは。

 

ヴェラキッカを観ている時に、学生時代、受験のために英単語を懸命に憶えていた時にとても驚いたことを、思い出しました。

「idol」という単語。

https://ejje.weblio.jp/content/idol

いわゆる「アイドル」。

「偶像」という一番最初に出てきた意味に。

そうか、アイドルって偶像なんだ。すごく、腑に落ちた。

 

ノラはヴェラキッカ家のアイドル。まさにidolだったんですね・・・。

なんか、それをまざまざと見せつけられて、なんだか居心地が悪かったです。

誰も、ロビンさえも、本当のノラのことを知ろうともしなかった。

わたしは物哀しかった。

いいの?これでいいの?これがトランプなのかな?分からない・・・。

宝塚にも「これってハピエンみたいに見せてるけど違うのでは?」と思われる「宝塚コーティング」されたものってあるし。

宝塚だったら悲劇の後でも「天国でふたりは幸せになったよ!」デュエダンとイケ散らかした群舞フィナーレで観客の心を宝塚に染め上げてくれるでしょ。

これがトランプなのですね!

これも含めてトランプなのですね!

という解釈をね、ヤケクソですよ、いわば。

推しがいるファンとして、宝塚ファンとして、なんだか気付きたくない、見たくない箱をすこおし、開けられたような、そんな気持ちになって、わたしはいまだにソワソワ・ぞみぞみしている毎日を過ごしているのです。

全然まとまってなくて、誠に申し訳ありません‼︎

この感情を書き表すことができなくて、そのまま放流します!