来る球を打ち返し続けた先に、なにがあるのか。

いろいろな目に遭いましたが去年車に跳ねられました!

入院生活1日目 交通事故③

こんばんは。午前2時、アから始まりドで終わるそこそこデカい車に跳ねられた(Twitterでは)山百合から、名前を変えましたりつこです!

昨日、ヴェラキッカと美弥るりかさんに対するクソでか感情をぶつけた記事を読んでくださった方、誠にありがとうございます!

Twitterの方にイイね!つけてくださった方、励みになります!

まだ心の中では「山百合・ヴェラキッカ」になりたい気持ちでいっぱいで、他の「野良・ヴェラキッカ」を求めてブログやTwitterを彷徨って漁っています。

しかし、今日は事故のことの続きを書かせていただこうと思っております。

事故で頭を打ったせいか、はたまた加齢の為せる技か、年々怪しくなっていく己の記憶力、なんでも書き残しておかないと(書き残しても)どんどん忘れていってしまいます。

今後、同じようなケースに遭った方が「交通事故 足首骨折 全治」とか「交通事故 青信号 過失」「交通事故 ブログ」とか検索し、少しでも

「この人、こんな目にあってるけど元気になったんだ」

とか

「リハビリ頑張ろう」

とか思ってくださったら良いな・・・と思い。

(だってもう痛いしスマホしかやれることもやることもないから検索ばっかりしていたけど「交通事故で慰謝料に不満がある方、今すぐ弁護士へ相談!」みたいなのばっかりで本当に本当に不安だったので・・・意外と車に跳ねられた人のブログとか出てこな買ったんです)

では、入院編です。

 

①入院1日目

1日目っていうか、まあ事故当日ですよ。

「救急隊の人に『お姉さん早いですねw』って笑われちゃったわよ〜」

と言いながら来てくれた姉、ゆり子。

彼女は美人である。取り急ぎ、駆けつけてくれたにも関わらず、おお、姉はやはり美しい。

そして大抵、わたしの妹と間違えられる。

この髪の毛も黒々とした苦労知らずな奥様に見える姉は、リゾート地で悠々自適で夫婦2人で住んでいたら揃って認知症になっていた夫の両親を、役所から呼び出されたその日のうちに引き取って連れて帰ってきたなかなかの人。

今日はディサービスに行っているから取るものとりあえず、駆け付けられたのである。

そう、日本の社会は、姉のような「家族の中で自由に動けるひと」がいないと、介護も育児も家庭運営も回らない仕組み・・・

などとストレッチャー上でつらつら考えながらも「ゆり子ちゃん、やっぱり綺麗だな、品がある」などと美人を眺めていた。

いや、姉に入院の支度や子どもの世話など頼まないといけない。会社や相手側の窓口も、姉にお願いしないとならない。そしておそらく現場に置きっぱなしになっている電動自転車・・・

「ちょうどパパもいたから、すぐ出てこられたのよ〜。外で待っててくれてるよ」

おお、義兄まで来てくれたのか。

地面に寝転がりながらも、なんとか会社に連絡していた時、わたしはどうも姉のLINEの通話ボタンを押していたらしく、姉が出たのだ。なんたる偶然。神はいた。

そして頭から血が出てめまいでグルグル回ってるけど根性で

「ごめん、事故に遭った、車に跳ねられて頭から血が出て、足が動かない」

と伝えた。その後、救急隊か警察の方が家族への連絡先を聞いてくれたので、スマホに登録してありパスワード入れなくても姉と弟に連絡できる方法で電話してもらった。

support.apple.com

登録方法はこちら↓

mag.app-liv.jp

念のために登録しておいて良かった・・・‼︎

姉が動揺しないで車を運転できたと思ったが、義兄がいてくれて良かった・・・

この義兄、運転がうまく大変良い人なので、それはまたいずれ紹介したい。

頭のタンコブをぎゅうぎゅう押されて血が飛び散り研修医も撃沈した処置も終わったことを姉に告げ、自転車の回収と入院の用意をお願いした。

入院準備は任せておけ、とばかりに姉が微笑む。

母・父・義父・妹(わたし)、そして自分。

数々の入院準備と、退院における撤収を担ってきたプロ(?)。それが姉だ。

数年前、まるで自分のうちみたいになっていた母の個室を、母が亡くなった直後から、泣き崩れるわたしや家族をよそに、猛烈に荷物をまとめ始めあっという間に撤収した時からわたしはそう呼んでいる。「入退院のエキスパート」と。

なぜ姉がその技を身につけたかというと、結婚前の仕事に関係しているのだが、それはまた機会があったらお話しよう。

「まあ死ななくてよかったよ」

と率直な言葉を残して、姉はミッションを遂行しに去った。というのも、病棟には感染予防のために家族は入れないのだ。

そしてわたしはストレッチャーに乗せられたまま、処置室から移動した。

本日何度目かの、よくドラマでやる「1、2、3!」のアレをしていただいて、落ち着いたベッドは、まさに

救急救命病棟24時で見たやつ・・・」

一応、カーテンの仕切りはあるものの、ズラッとベッドが並んだ広い部屋。

明らかにわたしより重症っぽいみた感じ高齢者の方がほとんどの部屋。

その一番手前に、わたしは設置された。

事故があったのは正午前。今は何時なのか、分からない。

わたしはとりあえず、寝た。痛いから。

薬は効いていたけど、痛いし、寝るしかない。

時折、看護師さんに声をかけられてバイタル計測されたり、問診されたりしたけど、とにかく寝ていた気がする。

周囲はうめく声や医療機器の電子音、アラーム、そして2台くらい向こうのおじいちゃんらしき人が大きな鼾をかいて寝てらっしゃる。隣のおばあちゃんはピクリとも動かず、不安になる。

そうです、ここは救命救急科。

命に別状がある人がいるところです。

まあ、その中でわたしといえば、多分一番別状ないし、若いな・・・

さっき、現場で警察官か消防の方が「被害者は30代女性」って言ってたしな・・・

もうすぐ50だよ!でも

フッ・・・若く見えちゃった?オレ・・・?

と謎のドヤァ・・・という気持ちが込み上げる。

(その後、「生年月日言えますか?」と聞かれてアラフィフだと分かったのがなんとなく気まずかったですが)

いろいろな音が聞こえたりしてきてましたが、もう寝るしかないのでとにかくコンコンと寝ていました。スヤァ・・・

さっきのおじいちゃんの

「ねえ、誰か、これ取って〜鼻かみたいからこれとって〜」

「○○さん、これ鼻からゴニョゴニョ入れてるから取れないのよ〜」

と応える看護師さんとの優しいやり取りがエンドレスで聞こえるが、スヤァ・・・

と、夜勤の方以外はいなくなった夜中の1時ごろ。

「みやのさん、みやのさん」

と優しく起こされる。

「みやのさん、これからここに新しく急患の方が入ってくるんですが、場所がなくて。

この中で一番軽傷でお若いのがみやのさんなんです。

ここ、うるさいから(今も続く「誰か〜これとって〜」)

こんな夜中に申し訳ないけど、上の病棟に移ってもらっていいですか?」

ここで眠れる自信は(まあまあ)あったけど、わたしは協力的な患者なので、二つ返事で承諾し、ベッドごとふたりのナースさんに運んでもらった。いや、こんな夜中に申し訳ねえ・・・

寝静まった病棟の、ナースセンターに一番近い部屋の手前のポジションに収まったマイ・ベッド。

「軽傷とはいえ、事故に遭ったばかりなので、ナースセンターの近くにしますね」

とのこと。ありがてえ。

「トイレ行きたかったら教えてくださいね」

とナースコールを手近に置いてくださった。

気がついたら喉はカラカラだった。そういえば、わたしは事故に遭う直前に行ったきり、トイレに行ってなかった。

姉が差し入れてくれたペットボトルの水をなんとか蓋を開けて飲む。

トイレには、車椅子に乗り移って連れて行ってもらう。

むむ・・・これは申し訳ないな。心苦しい・・・。

でも点滴などいろいろとつけているので、勝手に動くことはできないし、何より左足首がすごい勢いで腫れてる。もちろん歩くことは不可能。

医師が「処置終わったし、脳に異常もないけど、念のために一泊してもらって、明日帰ります?」って言ってきたんですが、次の日退院がナシになったのは、めまいのせいでした。

これが一番つらい。

少し頭を動かすと、世界がメリーゴーランド!よく言えば。

吐きそうなくらい、めちゃくちゃ回ってる。

まわ〜る〜まわ〜るカルーセル〜♪

小学生の頃、キャスター付きの回転する事務椅子がうちにあって、それに乗ってぐるぐる回って気持ち悪くなったことと、頭痛持ちの姉に頼まれて代わりに乗ったディズニーランドのコーヒーカップをめちゃくちゃに姪に回された後、ビッグサンダーマウンテンに乗ってトイレで吐いた。(それでも楽しかったです、姪と行くディズニー)

父と叔父と釣船借り切って海釣りに行ったら、姉とめっちゃ船酔いして船上で吐きまくって、一回陸にあげてもらって、車の中でふたりで爆睡して回復した。

悪阻で気持ち悪くて、カレー作って、夫が食べてる間、トイレで吐いてた。

あらゆる「気持ち悪くて最悪だった人生の記憶」が蘇りましたよ・・・。

後頭部に裂傷ができて縫ってるわけなので、頭が枕に当たると痛いわけですよ。

そしてまあ左に向けば傷は当たらないから、横向くんですけど、寝返り打って少し頭の向きを変えただけでもうぐ〜るぐる!魔法陣グルグルって漫画あったな・・・と少しでも気持ち悪さから気を紛らわしているわたし。

この時は、一番つらいのは「めまい」でしたね。

地面に寝ていた時から、とにかくめまいが酷くて、これ、少し頭が動いただけでもこんなに目が回って起きていられないんだから、何もできないな、いったい治るんだろうか・・・と暗澹たる気持ちになったことを憶えています。

頭は割れてて痛いわ、目は回るわ、足も痛くて歩けない。

まあでもとにかく痛いから寝よう、うん。

(不安でも、思い煩っても仕方ない。そう思えるようになったのは、中年になってからでした。)

そしてなんとか楽なポジションを探して、人生で初めて車に跳ねられた日は終わったのでした。