来る球を打ち返し続けた先に、なにがあるのか。

いろいろな目に遭いましたが去年車に跳ねられました!

車椅子生活で想うこと。

事故に遭って足首を骨折してからリハビリを経て歩けるようになるまで、約3ヶ月かかりました。

その間、どうやって移動していたかと言いますと、まず部屋の中ではキャスター付きの椅子。

子どもの学習机に付属しているアレですよ。会社で使っているアレ。コロコロがついてる。

あと、足をついても痛みがなくなってきてからは杖をついてました。

外出は車椅子です。

この車椅子、姉が会社の同僚から「余ってるから」とのことでもらってきたもので、父が通院等で外出する際はこれに乗って行っていました。

この車椅子がまさか私にとってかけがえの無いものとなるとは・・・。

父が亡くなってから、車椅子は姉の同居する義両親が体調悪い時のために、姉宅に引き取られていました。

今回、私が歩けない様になったので、退院時から持ってきてくれて使用していました。

車椅子は、腕の力だけで進めるようになってはいますが、これは結構力が要ります。

そして乗り心地はあまり良くないです笑

長く座っているとお尻が痛くなります☺️だから皆さん「卵を落としても割れない」くらいの良いクッションを敷いているのですね・・・。

そしてこれで登場すると、結構注目されます。

中にはお手伝いを申し出てくださる方もいらっしゃって、ありがたいことです。

外出する際は狭い通路などは謝まりながら通ります。結構幅があるんですね、車椅子。

一度、運動も兼ねて、一人で買い物に行ってみようかと、道を挟んだ向かいのスーパーに行こうとしたことがありました。

しかし、思ったより危なかった。

歩いていたら気付かないような傾斜があって、横断歩道を渡っていくと斜めになってしまい、到着したところには縁石があって歩道内に入れないという事態に。

これ、下手したら横転するな・・・と思いました。

道を渡るのを諦めて、ぐるっと一回りして帰宅しましたが、これが結構腕がキツい。

道って、結構傾斜があるんですね。本当に気付かなかったけど。

少しの坂道も登るのが大変。坂を下りるのも、速度が増して怖いし。

開き戸を開け閉めするのも大変。うちはドアストッパーがあったからそれでも出て行って締められたけど、一苦労です。

と言っても、自分が行きたいところに自分で行きたい。

でもほぼ無理です。

どこに行くにも車椅子を車の後ろに積んでもらい、その上げ下ろしも出来ないので姉がやってくれる。

買い物も、見たくても頼んで押して貰わねばならない。ちょっとあれを見たいな、と思っても、あれを買わなきゃと思っても、頼んで車椅子を押してもらわなくてはならない。

私は仕事で介助をすることが多かったんですけどね、みんな「悪いからいいわ」って言うんですよ。私は仕事だし、車椅子を押すのが苦にならないから、気にしなくても良いのに。これは必要なことなんだから、遠慮しないでお申し付けくださいって思ってました。

でも、自分が車椅子に乗るようになって、車椅子は私に必須なもので、誰かに押してもらわないといけないものなんだけど。

でも、遠慮してしまう。

そして自分の身体が思うように動かないストレス。

自分の行きたいところに、自分で行けないストレス。

いつも「悪いね、ありがとうね」「ごめんね、ありがとうね」と口にする回数の多いこと。

いろんなストレス、不自由さ、出来ていたことが出来なくなってしまった苛立ち。

これを思い知りました。

私は「歳を取ったらできなくなることは仕方ないことなんだから、頼んでくれればいいのに」と軽く考えていたようです。

私たち身体がうごく世代からしたら「高齢者だから出来なくなってしまっても仕方ないから、それを受け入れて欲しいな」なんて思っていたことが、なんとも受け入れがたいものなんだと、初めて知りました。

「介護を受けるようになる」ということを受け入れること。

そのハードルを、身を以て知りました。

車椅子に乗らなかったら、事故に遭わなかったら分からなかったこと。

足首の骨折は痛いし、不自由だし、元に戻るか分からない怪我ですが、怪我したことで見えてきたものがあった。

これは歩けるようになってもずっと憶えておこうと思います。

車椅子生活は終わり、また私は歩けるようになりました。

車椅子は、また姉宅に保管されています。

そして今は姉の義父が外出の際に使っています。

スフィンクスの謎解きが頭をよぎります。

「夜の三本足」つまり杖と両足、それも過ぎたら、車輪がつくのが現代なのですな。

まだまだうちの車椅子は活躍しそうです。